祖父のお葬式。

皆様こんにちはデザイナーの睦です。

月曜の朝、8時3分に、3年前から脳幹梗塞を患っていた祖父が他界しました。

月曜の夜に仮通夜

火曜の夜にお通夜

そして昨日はお葬式でした。

たくさんの人がいらっしゃってくださった中で

会社からは社長、会長を筆頭に

仕上げの岩谷さんや

奥様方まで来ていただき

一家総出でいらっしゃってくださいました。

専務や

事務員の大塚さん

運転手の岩田さんと・・・

本当にありがとうございます。

私と母(部長)が出勤出来ない為、社長は設営、撤収も含め展示会に一人で行ってくださり、とても大変だったことかと思います。

入院している時から何度もお見舞いに来てくれて、いつも気にかけてくれていた友人家族も、お通夜お葬式と参列してくれて

たくさんの人にお忙しい中お通夜、お葬式と参列してお見送りいただき、祖父もとても喜んでいることだと思います。

皆様、本当にありがとうございました。

亡くなった祖父は私にとって、祖父というだけでなく父親のような存在でもありました。

昔から父がマイペースな人でしたから、もしかしたら他のお父さんがしてくれていることを私と姉はあまりしてもらったりしてなかったのかもしれないけど

昔の父のマイペースっぷりをたまに愚痴ってる母を見ても、私は別に父に対して何も不満がありません。

だって他のお父さんがしてくれる分、いやきっとそれ以上のものを一緒に住んでいた祖父はずっと私と姉に与え続けてくれていたので

寂しいと思った事も、悲しいと思った事も、一度もなかったです。

あるのは、一日に何件も何件も公園をはしごして私と姉と遊んでくれた祖父との思い出ばかり。

自転車でいける公園の全ては、祖父との思い出が詰まっています。

正直、祖父が亡くなった事をまだ完全には受け入れきれてはおらず

式を通して、祭壇に飾られている祖父の遺影を見ては

(なんであそこにじいちゃんの写真が飾られてるんだろう)と、ふと不思議に思うことも度々ありました。

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祖父が入っている棺を見ても、まるで親戚の誰かが死んだように思えてしまい、

式場を見渡せば、いつもどおりカメラを持っている祖父が立っているように思えて仕方ありませんでした。

3年前、脳幹梗塞で倒れてから、私達家族の心の準備期間を3年間もくれた祖父。

ほぼ3年寝たきりの状態だった祖父もこれできっとやっと楽になれたのだと、頭ではわかっていても

ふとした時に、「じぃちゃんが死んだ」っていう現実がいきなり私の目の前にぶらさがって

どうしようもない大きさの、飲み込まれてしまいそうな真っ黒な寂しさが襲ってきます。

今もどこか自分の一部を大きくぽっかりと失ってしまった感覚が続いていますが

多分、これから時間をかけて、ゆっくりと吸収するように、埋まるように、私の一部になっていくんだと思います。

式場の人が作ってくれた祖父の写真がスライドショーになった映像が流されたんですが、私はてっきりケミストリーの曲だと思ってたのに (前、親戚のおじさんが亡くなった時がそうだったから)

祖父の写真と一緒に流れたのは夏川りみさんの「涙そうそう」で、

「古いアルバムめくり、ありがとうって呟いた」もう出だしから思わず号泣してしまいました。

スライドショーの中には私と姉、祖父が3人で一緒に写っている写真もあり、もう色んな気持ちが溢れかえってきて限界でした。

これから涙そうそうを聴くたびに泣いてしまいそうです。

そうそう、式場から火葬場に行くときにマイクロバス2台借りていったんですよ。

火葬場で祖父の体が焼かれている間、また式場に戻ってきてみんなでご飯を食べます。

そしてまた火葬場に戻ってお骨上げをするんですけど・・・・

ご飯を食べたあと、また火葬場に戻るとき

母がバスに置いていかれて、親族一同爆笑でした。

故人の娘が置いていかれるてレアすぎるやろwwww

いや、正確に言うと本当にギリギリ間に合って一緒には行けたんですけど

ほぼバスが出発するところでした。

着物の喪服で式に参加していた母は火葬場に行くときに洋装の喪服に着替えたんですけど

「今から着替えてくるから」ということを、母のイトコであり妹分であるお姉さんに伝えたそうなんですね。

でもお姉さんはそのことを聞き流して受け取ったみたいで

うっかり母がまだバスに乗っていないことを、みんなに伝え忘れていたみたいです。

私はというと、親族間の集まりでは基本姉とイトコ二人と4人で固まって行動しているので

母の居場所を把握しておらず、母はあっちのバスに乗ってるんだろうとばかりに思っていました。

伝え忘れたお姉さんと、置いていかれた母は別のバスになったようで

火葬場に着くなり、

母:「○○ーーーー!!ここに正座せえーーーー!!(怒)」

ってお姉さんが母に怒鳴られて、親族一同爆笑でした。

母がすごい形相でバスに向かってくることに気づいた親族は

「えらいこっちゃ!!」って顔をしてたという話になり

また違う親戚のお姉さんが

「そりゃえらいこっちゃやわ!!イトコの中でもえらいこっちゃな存在やのに!ww」

って大笑いしていて、それ聞いて私と姉も大笑いしてしました。

えらいこっちゃな存在ってww

祖母は7人姉妹なので母はイトコが多いんですけど、母はあんな性格ですのでイトコの中でも親分ならぬ姉分感がすごいです(´_ゝ`)

帰りのバスでは、今度は忘れないように「和代ねぇちゃん、先に乗せやな!!」「和代ねぇちゃーーん!!!」って母のイトコのお姉さん達が皆して母をバスに先に先にと乗せておりました。

本当にめちゃめちゃ笑った(笑)

火葬場に行く前、体を焼かれ、骨の姿になってしまった祖父を見るのはどれだけつらいんだろうと思っていました。

祖父が入った棺を霊柩車に入れる時も、(じぃちゃんを連れていかんといて欲しい)と涙が溢れてしまっていました。

しかし、みんなでお腹から大笑いしたおかげで、なんだか荷がおりたような気持ちで骨になった祖父を迎えることができました。

きっと火葬場で場違いな大爆笑している親族にまじって、祖父も一緒に笑っていることだと思います。

祖父の骨は、3年間飲まず食わずだったとは思えないぐらいしっかりとした骨で、

喉仏なんか、「こんな立派な喉仏見たことない」

ってみんなが言うくらい、立派な、形もそのまま残った喉仏でした。

親戚のおばさん:「さすがじぃちゃんは色々立派やわ!」

おじ:「意味深ww」

なんて言うものだから、またそこでも火葬場で親族一同大笑い。

悲しい顔だけでなく、みんなの笑顔で祖父を見送れてよかったです。

そうそう、祖父の棺に千羽鶴をいれたんです。

しかし、これが不思議な事に、普通の紙で折った鶴なのに沢山の鶴が祖父の足元で白いまま焦げずに残っていました。

これには親戚もみんな不思議で首をかしげるばかりでした。

他に入れた紙関係のものは(メッセージを書いた色紙とか)全て焼かれて灰になっています。

祖母が折り紙で作ったバラもたくさん入れたんですけど、同じ折紙でもバラは焼かれて鶴は残ってる・・・。

千羽鶴も一緒にかなりの高温の火で焼かれているはずなのに・・不思議だなぁ。

千羽鶴に乗って、祖父が暖かい優しい場所へ行けたらいいなと思います。

棺にはお金も一緒に入れたんですけど(三途の川の渡し賃かな?)

100円玉が1枚

10円玉が3枚

合計4枚

これはイトコと、親戚のお兄さんが鶴や骨の中から一所懸命に探してくれて

イトコ2人

私達、孫4人で1枚ずつお守りに持っていることになりました。

これから、肌身離さず持ち歩こうと思います。

今はまだ寂しさも悲しさも現実も受け入れきれないけれど、それ以上に

祖父の孫として生まれてこれて私は本当に幸せ者だと、改めて思っています。

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私が祖父に会いにいけるその時まで、たまには夢の中でもいいから会いに来てほしいものです。

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