取材
皆様こんにちわ デザイナーの睦です。
今日はね、日刊工業新聞社 月刊雑誌「型技術」の編集部の方が弊社にいらっしゃいました。
型技術の2015年10月号(2015年9月16日発売)
「金型の未来を拓く技術者たち」
に弊社を掲載していただくことになり、その取材にいらっしゃったのです。
今回、インタビューに選ばれたのは
私と、ベトナムから来たファン君でした。
現場の人達が選ばれるイメージがあったので
インタビューを受けるのが私だと言われた時は「なんで?」と思いましたが
他の金型屋では持ってない3DCADを使っているからというのが大きな理由だそうです。
そんなこんなで、部長同席のもと
ファン君と一緒に、いろんなご質問にお答えしました。
木村編集長さんです。
日清精工に入社するようになった経緯や
仕事を行う上での工夫
つらかったことや
やりがいを感じる時など・・・。
会話を交えながら、たくさんのご質問をいただきましたが
多分、文法がしっちゃかめっちゃかな私よりも
ファンくんの方が落ち着いてちゃんと答えていた気がします。
へへへ、お恥ずかしい(●´ω`●)
事前に、他の企業様のインタビュー記事も拝見させていただいていたのですが
みなさん志も高く、私には全然わからない専門用語をバンバン仰られていて
(やばい・・・こんな凄い事も専門用語も言えんわ・・・)
って焦りました。
私も何か凄いこと言いたかったけど
見栄をはったり、嘘ついたところで何も意味もないから、私は私なりに本音をお伝えしました。
あ、いや、最初に盛大に嘘をかましてしまったな(・´ω`・)
インタビューの前に、木村さんが
「それでは、右田さんから生年月日とお歳をお答えいただいてもよろしいでしょうか。」
とおっしゃられたので、私は
「はい!私は1988年9月12日生まれの16歳です!」と答えてしまいました。
誰が16歳やねんてな。
一瞬会議室がシーンとなったよね。
最後はファンくんと会議室の商品棚の前と、現場の金型の前で撮っていただき
取材は終了いたしました。
取材にお答えしながら、3Dをやり始めた時の事を振り返っていました。
3Dをやり始めたころは
自分がやりたいやりたくないよりも
母である部長のメンツを壊さないようにすることしか考えておりませんでした。
今まで3Dに全く無縁だった人間が、3Dをやり始めた最初はなかなか出来なくて当たり前なのに
上手くデータが出来なければ、何もかも自分が悪いと思い込み
そしてそんな自分が部長への評価につながって、部長の評価や信頼を壊してしまうと
自分で勝手に抱え込んだプレッシャーというものが大きく苦しかったです。
今思えば、自分の母親が30年以上かけて築いてきたものを、もっと信頼してもよかったんじゃないのと思います。
そしてあの頃私は3Dをやり始めてまだ日も浅く、失敗らしい失敗をしたことがなかった故のプレッシャーもあったと思います。
あれから数年、いろんなミスをしまくって
どんだけ頑張っても完璧ではいれないなと思うと逆に気が楽になりました。
もちろん無責任に仕事をしていいという意味ではないですよ!
そうではなくて
いくら部長の娘だからって私は部長にはなれないし、部長だって私にはなれない。
部長にできて私にできないこともあれば、私にできて部長にできないこともある。
部長の娘らしく仕事をするのではなく
私にしかできないことを、
たまに失敗もしちゃいながら、その時は反省して
そしてまた私らしく突き詰めていけばいいんだと思いました。
なんでこんな簡単なことが、あの頃はわからなかったんだろうな。
さて、どんな記事になるんでしょうか(●´∪`){とりあえず10kg痩せて写ってればいいな!
発刊されたら、ブログにもアップしますね!
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