Y先生

皆様こんにちわ 店長の睦です 今日、フェイスブックにて 高校生の頃3年間担任をしてくれた先生が 子宮筋腫だった事を知りました。 もう手術も無事終わって 職場復帰の許可もおりたぐらい回復しているみたいですが もうちょっと早く知れたら クラスのみんなに連絡網回して 代表者がお見舞いに行けたのにな〜・・・ その先生は 当時私達が高校生だった頃 まだ20代後半だった女性で 実年齢より若く見えるから 入学式に (こんな若い先生が担任で大丈夫なんだろうか?) と思ったのを覚えてます。 今は結婚されて苗字が変わっていますが ここでは旧姓のY先生とお呼びします。 Y先生は 一言で言うと、真面目な先生だったなぁ。 初めての担任だったし あの頃は学校の教員の中でもまだまだ新任だったから いろいろ気負いすぎてたそうです。 よく、帰りのHRでクラスみんな怒られた。 でも普段はとてもフレンドリーで くだけた感じの先生なので そっちがきっと本当の先生の姿なんだろうな。 友達は先生の事を真面目で堅すぎると言ってたけど デザイン系クラスの友達は 良くも悪くも小さい子供のような みんなフリーダムな子が多かったので 私達のクラスは むしろ堅すぎるぐらいがちょうどよかったと思っています。 でないと収拾がつかない事になる(笑) Y先生との思い出は色々あるけども ある日、他の先生に姉とテストの点数を比べられて 小馬鹿にされた事を怒っていた時の事。 あの頃は 私に比べ姉の方が生活態度もよく成績もよかったのです。 それを先生に比べられてネタにされたもんだから 腹が立ったんだと思います。 その先生は当時まだ23歳の新任教師で とてもフレンドリーだったし その先生の苗字を呼び捨てで呼ぶほど 仲がいい先生だったんで その先生も冗談で言った事だし 今思い返せば全然怒るほどの事ではなかったんですが 若いから色々繊細だったんでしょうね。 腹がたったのと同時に、傷ついたのを覚えてます。 友達と先生が楽しそうに喋っている輪から 2.3歩後ろに外れていると それを偶然通りかかりに見た Y先生に呼ばれました。 「どうしたん、めずらしく怒ってるやん」 と、コソッときかれ、私は 「別に大丈夫」としか言えなかった。 で、逃げるようにその場を去ろうとしたら Y先生に後ろから 「大丈夫なん!?」 と聞かれ 私はろくに振り返りもせず 「大丈夫!」とだけ返したんです。 今思えば、しょーもない事でも もっと先生に相談すればよかったかな。 誰かに悩みを打ち明ける事が下手だった高校生の私は 何かあっても先生に相談するということができなかったんです。 普段はお気楽に学校も友達も大好きー!で過ごしていた私ですが 多感な10代の若者らしく 友達とケンカしたり それから生まれる 説明のつかない自分自身への葛藤やモヤモヤや 自分ではどうしようもない苛立ちも、たまにはあったわけです。 で、その日もそんな感じで 朝から姉とケンカして私だけ遅刻することになって 結構本気でイライラムカムカしていた所に 友人達が悪気なく、冗談で遅刻した事をからかってきたんで それで本気で腹が立って 友人達にひどい態度をとってしまったのです。 まさかそんな態度で返されると思ってなかった友人達はビックリしてたな。 姉にも腹がたつわ 友人達にも腹が立つわ 友人達に理不尽なひどい態度をとった 自分自身にも腹が立つわで もう嫌だ!ってなった私は 学校に来てすぐだったけど 職員室に行って Y先生に 「先生ゴメン、帰らして」 とだけ言いました。 明らかに健康そうだし 遅刻もしてるし なぜ帰りたいかは説明を全くせず。 Y先生は一瞬ビックリした顔をして 私の顔をじっと見てきたけど 私はY先生の目を見返す事はできず ずっと目をそらしていました。 そして、Y先生は何もきかずに 「わかった。」 と頷いてくれました。 ただ一言 「大丈夫?」とだけきいてくれた。 やっぱりそれにも 私は「大丈夫」としか言えなかったけど。 で、教室行って帰る準備してる私を見てまた友人達はビックリして 「帰るん!?」と呼びとめられたけど ろくな返事もしないまま 私は帰りました。 帰り道、泣けた。 会社のお昼休憩で家に帰ってきた母に 学校を早退した本当の理由を言うことが出来ず 「五月病で帰ってきた」と言ったら 本気で説教されたけど(これは理由がまずかった) 私はあれやこれやと詮索せず 黙って帰らせてくれた先生に感謝しました。 Y先生の快気祝いを早くしたいです。 で、当時の思い出話はもちろん 今こんな事を頑張ってるんだとか こんな事が大変なんだーって事を聞いてもらいたいです。 もうしばらくしたら、土曜日にでも母校に Y先生に会いに友達や姉と行こうと思います。