言葉

皆様こんにちわ 店長の睦です MILCA関係でお世話になっている方と、 フェイスブックでもお友達登録させてもらってるんですよ。 その方が以前、フェイスブックで 私は昔、物書きになりたかったと ちらっとだけ書いてた事があって 私は(あ、なるほど)と納得しました。 その方の書く文章は、日常のたわいのない事を書いていても 言葉や文章を大切にしている方だというのがわかるから。 たまに、思い出話しなどを書いて 長文を投稿される時もあるんですが それでもやっぱり、言葉を大切にしている方だというのが伝わって来ます。 その方は強く意識しているわけでなく ほぼ無意識でされているのだと思いますが なんというか 丁寧な文章なんですよ。 丁寧といっても、 敬語や尊敬語を使って丁寧とかそんなんじゃないですよ。 うまく表現できないけど なんだろ 言葉が花だとしたら 言葉の花畑から選んで、丁寧に指でふわっと摘み取っていってる感じ。 それを、 西日が柔らかくさしている部屋の お気に入りのいつものソファーで ゆっくりと花を紐に通して 丁寧に首飾りを作る感じ。 できた花の首飾は その方が紡ぐ文章の事を言いたいんですけど ・・・・って余計伝わりにくいですねこれじゃ。 でもこれがその方の書く文章を読んで 私が見える世界なんですよ 私の言葉選びが下手で、皆様に上手く伝えれず申し訳ない。 きっと、丁寧に言葉の花を摘み取れる人は 言葉の花の種を、大切に育てられる人なんでしょう。 本をたくさん読んだり、 普段から人との会話に気をつけていたり。 先日、 もし、口にした言葉が、全てノートに記されたら この世界はどうなるんだろう と思いました。 自分が今日一日 口にした言葉が記録されているノートを寝る前に見返すと 自分が思っているより汚い言葉を言ってると思いますよ。 その日、自分がその時の感情だけで言った他人の悪口とか 全部記されてるわけです。 文章と違って 口にする言葉は見えないものですよね。 見えないだけで本当は大切なものなのに 見えないから、自分の言葉とちゃんと向き合う事もせずに どんな形をしているのか どんな重さなのか それらを確かめもしないまま 人は無責任に言葉を放り投げる。 放り投げた言葉が誰かにあたっても、実際怪我をすることもないし。 自分の無責任に放り投げた言葉が相手にあたって 腕一本でもなくなれば、普通の人なら罪悪感が生まれるでしょうが 実際に言葉が刃の形になって、その人の体に傷をつけるわけではないので 自分の言葉がその人を傷つけた事にちゃんと向き合わなくてすむ。 でも見えないものは、見えない所に傷をつけるわけで 傷がつくところが体の外側か、内側か それだけの問題。 それを深く考えないまま 実際に形にすれば 自分の手のひらでは掴めないような尖った言葉を 自分の両腕では持ちあげれないような重い言葉を 人は無責任に、また放り投げてる。 もちろんこれを書いてる私も、 普段はそんな事を考えて言葉を口にしているわけではありません。 無責任に言葉を四方八方に放り投げてます。 自分の言葉が全て書き連ねられているノートを見返した時 自分で見て恥ずかしくないものであるように 気をつけていたいものだなぁと思いました。