自衛隊

皆様こんにちわ 店長の睦です 近日締め切りのデータに 精神力を使い果たした感があるので ちょっとブログで休憩です。 締め切りに追われるのって 学生時代の課題の時だけかと思ったら ところがどっこい 今もいろんな締め切りでアタフタです。 スケジュールをたてるのは好きですが スケジュール通りに行動するのが苦手・・・ってダメだそりゃ! さて、そんな私が深夜 自室で睡魔と闘いながら作業している時 YouTubeで久しぶりに「それが大事」という歌を聴きました。 負けない事 投げ出さない事 逃げ出さない事 信じ抜く事 駄目になりそうな時 それが一番大事 なんだか励まされます。 もう全部明日の自分に任せて今日は寝てしまおうかなぁ・・・ と思っていた私もこの曲のサビを聴くと よし!と気合いが入ります。 この曲は東北大震災の映像と一緒に流れていたんですが 自衛隊の人達が被災者の方たちを救助している写真が流れて その中にこんな言葉を見つけました。 「日本の自衛隊って世界中で唯一、 殺した人間の数より助けた人間の数の方が多い武装集団なんだって。 これって、誇りだよね。」 これを読んで感動しました。 そのリンクからいろいろ辿っていくと

こんな話しを見つけました。

私がホテル勤めをしていた頃の話。 ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。 披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。 自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。 自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には 苦労を掛けていると思う事。 たとたどしくですが話されました。 同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが 段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。 挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」 と尋ねると、 新郎は小声で「大和です」 それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり 直立不動で敬礼を送りました。 おじいさんも見事な答礼を返されました。

私はその後は仕事になりませんでした。

その光景を見たかった・・・・! 皆様は「大和」という戦艦をご存じですか? 「宇宙戦艦ヤマト」の方じゃないですよ 日本がまだ戦争をしていた頃 本当に存在していた戦艦です。 当時の技術を結集して作られた超巨大戦艦大和の最後の作戦。 目的地は沖縄。 作戦は、片道分の燃料を積んで特攻、 自ら浅瀬に乗り上げて動かぬ砲台となり、敵の陸上部隊を砲撃するものでした。 司令官は一応反対したものの、 連合艦隊司令部の「一億特攻のさきがけとなれ」の言葉で承諾しました。 しかし、沖縄特攻作戦に向かう途中、 鹿児島県坊の岬沖で米艦載機の攻撃を受け沈没、 乗員3,332名のうち3,056名が大爆発と共に去りゆく大和と運命を共にしました。 大和特攻は大和以外にも巡洋艦駆逐艦を複数伴っており 大和が沈没した後に乗組員を救助したのは、随行していたこれらの艦船です。 沈没から逃れた乗組員も 海面を厚く覆った重油を飲んだり、 爆発した船の金属片が空から大量に降ってきたり 繰り返し米軍機からの機銃掃射を受けて多くの命を落としました。 新郎のおじいさんはそんな戦艦大和の生き残りの方だったんですね。 新郎新婦だけではなく、 海自の方たちも一生忘れられない結婚式になったのではと思います。