雉も鳴かずば

皆様こんにちわ 店長の睦です 皆様は 「雉も鳴かずばうたれまい」 という諺を知っていますでしょうか。 無用の発言をしたばかりに、自ら災害を招くことのたとえです。 この諺を知っている人は多いけど この諺に隠された、悲しい物語があるのをご存知でしょうか。 「長柄の人柱」という大阪の淀川にまつわるお話があるんですけど それは今はちょっと置いといて まんが日本昔話で紹介されていた方のお話をまずは紹介したいと思います。 犀川という川のほとりに、小さな村がありました。 この川は毎年秋の大雨になると氾濫し、村人を困らせていたのです。 この村に弥平という父親とお千代という娘が二人で暮らしていましたが お千代の母親も先の洪水で亡くなっていました。 ある年の秋、お千代は重い病にかかりますが、 貧乏な家なので医者も呼ぶことができません。 お千代はかつて一度だけたべたことのある 「あずきまんま」が食べたいと言います。 小豆を買うお金のない弥平は、 地主の倉から、ほんの少しだけの米と小豆を盗んで、 お千代に食べさせてやりました。 その甲斐あってか、お千代はすっかり良くなりました。 お千代はかつて、母が生きていた頃に3人で食べた あずきまんまを、また食べれた事がよほどうれしかったのでしょう お千代は父親が畑仕事に出かけているあいだに、 手まり歌で「あずきまんまたべた」と歌ってしまいます。 その夜からまた雨が激しくなり、 村人たちは罪人を人柱にしようと相談しあいました。 人柱とは、昔災害が続いた時に 神への生贄として人が生きたまま埋められるという恐ろしい風習です。 そこでお千代の手まり歌を聞いた者が、 弥平が地主の倉から盗みを働いたことを話すと、 弥平は役人にひったてられる事になりました。 弥平を泣いて追いかけるお千代に 弥平は「大丈夫、すぐに帰ってくるよ」と約束しました。 しかし、弥平が帰ってくる事はありませんでした。 人柱として、生きたまま埋められてしまったのです。 (ほんの少しの米と小豆を盗んだだけで人柱にされるなんて) と弥平を不憫に思う人達もいましたが、どうする事もできませんでした。 お千代は父が埋められた場所で何日も何日も泣き続けましたが、 ある日ぴたりと泣きやみ、それ以後一言も口を聞かなくなってしまいました。 それから何年もの年月が流れました。 猟師がキジの鳴く声を聞いて鉄砲で撃ち落としました。 キジの落ちたところに向かうとお千代がキジを抱いており、 「雉よ、おまえも鳴かなければ撃たれないですんだものを」と呟きました。 お千代は自分が手まり歌を歌ったばっかりに父親を殺されてしまったことをキジに重ねてそう言ったのです。 村人はお千代が喋ったことにビックリしていると お千代は雉を抱いたままその場を立ち去り それ以後、お千代の姿を見た人はいないという悲しい民話です。 そして、同じく「雉も鳴かずば」の発祥として知られるのが 長柄の人柱です。 こちらも同じく川の氾濫に悩んだ村人達が人柱をして 娘が父を想い呟いたというお話なんですけど 上に書いたお話とは少し違ってるんですよ。 これは、大阪の淀川でのお話です。 今も長柄橋といって 浪速名橋50選に選ばれている立派な橋です。 こちらはね、村人達が川に橋をかけようとした時のお話です。 せっかく作りかけた橋が、いつも川の氾濫によって流されてしまう為 なかなか橋が完成せず村人達が困っていました。 そこで村の人達は 吹田の長者、巌氏(いわじ)に相談する事にしました。 巌氏は 「橋が完成するのは人柱が必要だ」 と言いました。 さぁ、そうなると今度は誰を人柱にするかが問題です。 皆でどうするか困っていると 巌氏はこう言いました。 「袴につぎはぎしてる者を人柱にしたらいいんじゃないか」 みんな、お互いの服を見渡しました。 すると、一人だけ服につぎはぎをしている者がいました。 それは いいだしっぺの巌氏でした。 究極のうっかりです。 そうして、巌氏は思いがけず 自分が人柱にならざるを得なくなったのです。 巌氏亡き後、娘の照日は父が人柱になったショックで口がきけなくなりました。 そして、ついには夫から離縁されてしまい 照日は夫に送ってもらい、実家に帰る事になりました。 故郷に帰る途中 1羽の雉が声を上げて飛び立ったので、夫は雉を射止めました。 すると照日は射とめられた雉を抱き うっかりな言いだしっぺで人柱になってしまった父と 鳴いて射止められた雉を重ね、こう詠みました。 「物言わじ父は長柄の人柱鳴かずば雉も射られざらまし」 父を想う妻に心打たれた夫は 雉を手厚く葬ってやり 妻をつれて、来た道を戻ったといいます。 「雉も鳴かずばうたれまい」 この諺の背景にはこんな伝説が残っていたのでした。 自分のせいで父親が人柱にされてしまったお千代の話か うっかりで父親が人柱になってしまった照日の話か どちらが本当の由来かはわかりませんが どちらにせよ、人柱になった父を想う娘の悲しみが込められた諺です。 普段、何気なく目にする諺ですが その由来を辿ってみると、また知らない物語に出会う事が出来ます。 それは、 悲しい物語が込められていたり、 誰かに対する皮肉だったり 決していいものばかりではないかもしれません。 別に由来を知らなくても誰かに怒られるわけもないし 諺の意味さえ知ってりゃ恥はかきません。 だから、由来も知っとくべきだとは思わないけど。 不思議な事に、どちらの話も 人柱になった後は天災がおこらなかったのです。 人柱になったおかげだとは思いませんが そういった犠牲の上で橋は完成しました。 先人達が残してくれた技術の上に立って生きる私達。 そうやって先人の残してくれたものの上に立って生きるなら 先人達が残した想いの上にも立つのは、おかしな事ではないと思います。 カタチあるものも カタチないものも 大切なのはどちらも変わらないから 先人の残した言葉に込められた想いを知る事は とても意味のある事だと思いますよ。