マリンバ

皆様こんにちわ 店長の睦です 今日、祖父母の引っ越しに伴い、 長年祖父母の家に置かせてもらっていたマリンバを売却する事にしました。 皆様はマリンバというものをご存じでしょうか? 木琴を大きくした感じの打楽器です。 姉のブログから写真を拝借しました。 今日は、私の思い出話を、つらつらと書いていきたいと思います。 私が卒園した保育園は音楽に力を入れている保育園で、 年に2回、市民会館や文化会館で園児による発表会が行われます。 先生達による園児の選抜メンバーは マリンバやドラム、ボンゴやコンゴなどの打楽器を演奏し、 そのほかはピアニカやギターを演奏するシステムでした。 全体練習の他に、打楽器メンバーは別室にて特別練習が行われていましたが それが楽しかったのか 卒園生達が楽器を習えるサークルというものに 私と姉は小学1年生の頃から中学生の途中までずっと通っていました。 母に「サークルやる?」ときかれ 「やる!」と答えた事を押さない私と姉は本気で後悔しましたよ。 母はたくさん私達に習い事をさせてくれてたけど どれも3年は続けないとダメと言い張り 泣こうがわめこうが絶対にやめさせてくれませんでした。 そのおかげで得たものも多いけど 当時の幼い私達は習い事が本気でイヤで もっと放課後は友達と遊びたかった。 いつも泣きながらサークルに行って、マリンバとピアノを練習してました。 マリンバとピアノの先生は別の先生でした。 ピアノの先生のおばちゃんは、みんなには怖い怖いと言われていたけど 本当は気さくな人で、おもしろかった。 あいかわらず言葉はキツイけど、楽しい人でした。 私達もそれがわかったのは小学校高学年になってからなんですけど、 いつも笑いの多い練習でした。 逆にマリンバの先生は若くてキレイで普段は優しいけど 上手く出来なかった超怖い人で 「もういい!あっちで一人で練習してなさい!!」 と、練習の輪の中からはずされた時のみじめ感。 発表会前は、超憂鬱でした。 それでも、発表会には親戚をたくさん呼び、 発表会が終わった後、両親はとてもほこらしげで、特に母が喜んでいてくれた時は イヤイヤやっていた事だったけど、嬉しかった。 母は小学校の担任に 「この子には選ぶ事のできる3つの道があります。 ひとつは絵の道。 ひとつは文章の道。 ひとつは音楽の道。」 と言われたらしく 結局、私は絵に関する道を選んだのですが 当時の母は一番、音楽の道を私達に歩んでほしかったんじゃないかな と私は思っています。 高価なマリンバを買い与えてくれて、 私達がマリンバをひく姿を誰より喜んでいてくれたから。 普段は厳しいマリンバの先生も、 「厳しい事を言うのは、ちゃんと出来るって信じてるから。 本当にマリンバの才能があるよ。できれば、音楽の道を続けていってほしい。」 と音楽の道を選ぶ背中を押そうとしてくれて、 幼い私も多分姉も、 当時は先生のご都合な言葉にしか思えなかったけど 今なら、先生はいつも私達を信じてくれてたからこそ 練習の時は厳しかったんだと理解できるようになりました。 それでも、結局マリンバを練習する事はほとんどなくて 発表会前にちょっと練習するくらい。 今日、会社にいっている間に業者の方が来て、マリンバが引き取られていく。 昨夜、母に 「最期に2人でたたいている所を見せて欲しい」と言われ このマリンバでは最後の演奏になる曲目は 「カルメン」 もっと他にも弾いてあげたかったけど もう、この曲しか、最後まで弾けないんだな。 本当にイヤイヤながら、やっていたサークルだったけど カルメンの練習は楽しかった。 普段は一人で演奏するけど この曲はマリンバメンバー全員で演奏する。 メロディ担当と 伴奏担当。 この曲をみんなで演奏した時 初めて、「演奏による全員の一体感」という、 なんともいえない快感を知りました。 姉も私も、思い出の強い曲です。 あんなに色々と演奏した、一人で演奏する曲も 最後まで演奏できるのはもう一曲しかなくて。 このマリンバが家に来た時 当時の私には大きく見えたのか 小さく見えたのかすら、わからない。 傷がついてなくて、キレイな状態だから きっと引き取ってもらえると思うけど なんだかすごい罪悪感。 お金をだしてくれた両親にもだけど なんていうか、マリンバに。 「傷がつくほど、たたいてあげれなくてごめん」 そんな事を考えていたら 祖母に 「マリンバを作った職人さんがかわいそうやで。良い音だそう、良い音だそうと思って作ってくれてんねんから。」 と言われ、ああそっか。 そっちは盲点だったなと。 今の私はモノ作りに携わっているから、 今ならその言葉も 分かる気がする。 1つのモノをつくるのに どれだけの苦労がいるか。 「ちゃんとお金は払ってるんだから、どう使おうとこっちの自由」 という考え方もあるかもしれない。 確かにそうかもね。 確かにそうかもしれないけど もし、 モノを買う対価がお金だけではなくて 作り手の気持ちに対する対価を、消費者が気持ちで払うとしたら なんでもすぐに捨ててしまう私も含め 世の中はもっと変わっていたんだろうか。 マリンバは、もっと傷だらけだったんだろうか。 とか、いろいろ考えてしまうんですよ。 母が望んでいたかもしれない 「音楽の道」に進んでいたら、私の人生はどうなってたのかな、とかね。 「文章の道」とやらは、この誤字脱字、構成力じゃ 選びたくても選べなかったかもしれませんけど!(笑) でも、きっと私はどの道に進んでも 多分、同じ所に戻って来る。 マリンバが傷だらけになってたとしても 右手中指にある、不格好に膨れたペンだこは、 今と変わらず、私の右手にあると思う。 そう思える。