お葬式

皆様こんにちわ 店長の睦です 連休中に親族の告別式がありました。 祖母の妹の旦那さんにあたる方です。 当たり前の事なんですけど 年を重ねるにつれて 生まれた時からお世話になっていた人達が亡くなっていきます。 それは自然のなりゆきなのはわかってるんですけど。 その間に生まれてきた命があるのもわかってるんですけど。 なんだろうな 人って死ぬ事にも生きる事にもなんだかんだと意味や理由をつけたがるけど 人が死ぬのも生きるのも理屈じゃないよなと お葬式のたびに思います。 人は理由をつけなくても死んでいくし 理由をつけなくても生きていける。 うまく説明できませんけど なんだかそれがひどく残酷に感じるのは私だけでしょうか。 そう感じるのが正しい事なのか間違っている事なのかもわかりませんけど。 以前、お葬式は 故人の方に、そして故人の方と出逢えた事に感謝する場所だと思うと書きました。 もちろんその考えは今でも変わっていません。 でも、花がたくさん入れられた棺の前で号泣するご遺族の方を見て どんな理由をつけても 大切な人が亡くなったら もうすぐ動かなくなった体を見る事さえできなくなると思ったら 寂しいよなぁ つらいよなぁ と心から思いました。 永遠に起きる事のない父に 何度も何度も 謝罪の言葉とお礼の言葉を 号泣しながら、頬をなでながら伝える 大好きな親戚のお姉さん。 隣に座っていた姉がポツリと 「直視できひん」 と言いました。 直視できひんと言いながら姉は泣いてましたけど。 でもそれは私も一緒でした。 今はその光景を見ている私達ですが 親戚のお姉さんはいつかの私達の姿だと思いました。 祖父母も含め、今は元気な家族ですが 歳の順から言うと 私達は残される側なわけで。 そしていつか私達も残す側になっていく。 自分が死ぬと言う事が今は非現実的だけど いつかそれを自然の流れのように受け入れる時が来るのでしょうか。 その時の私はどれだけの出会いや別れを繰り返しているんでしょうか。 火葬場で 火葬する機械に棺をいれたあと 車に戻る道の途中 姉が 「人って簡単に死んだらアカンな」と いつもなら聞き流すぐらいの 当たり前の事を呟きましたが この日はその言葉の大事さが いつもより重く深く感じ 「そうやな」 と これまた当たり前すぎる返事しか 返せなかった私でした。