お誕生日を祝うということ

皆様おはようございます 店長の睦です! 11月8日は祖母の71歳の誕生日でした 私は今は父、母、姉、私と4人家族(犬2匹)ですが 中学生の頃までは 祖父母の家で6人家族で暮らしていました。 引っ越したといっても、徒歩でもすぐ着くような超近所なので 今でも6人家族みたいなもんなんですが 祖父母の家は、毎晩誰かしらお客さんが来る家でした。 祖母の妹が来たり、祖父の友人が来たり、親戚がファミリーできたり 今でもお客さんが来ない日はほぼありません。 そして晩御飯の時間帯に来るので 食卓はいつも家族+お客さんの誰かでした。 (今もですが) そんな家庭で物心がついた時から育ってきたので 当時は毎晩、誰かお客さんが来るという事に何の不思議もありませんでした。 なので家族分だけケーキを買う事はなく いつもお客さんの分を考え多く買うのが習慣な我が家です。 この日も多めにホールケーキとロールケーキを買って祖父母の家に行きました。 父はマダムとMr.も連れて行きたそうでしたが リビングのダイニングテーブル育ちの二匹は 和室の低いテーブルに慣れていないので そんな目の前においしいケーキがあったら何をしでかすかわかりません・・・。 かわいそうですが二匹はお留守番です。 そして 部屋の灯りを消し ケーキに大きいローソク7本と、小さいローソクを1本灯し 歌を歌って 祖母に吹き消してもらいました。 私達が大人になっても 毎年家族の誕生日には祖父母の家に集まって、家族みんなでケーキを食べるという習慣が未だに続いていて 素敵だなと我が家族ながら思います。 ただ同時に鹿児島の、もう亡くなってしまった祖父母(父方)には 一度もしてあげられなかったなと今では思うのです。 昔は遠く離れていた地に住んでいた為 なかなか会う事もままならなかったうえ 私達が小さい頃に亡くなったので (特に祖母は私が物心つくまえに亡くなりました) 鹿児島の祖父母には ずっと一緒に暮らしてきた 大阪の祖父母のように 晩御飯を食べながら一緒にテレビを見て「このタレントさぁ〜〜〜」とかいう たわいない話もできなかったし 食器の後片付けのお手伝いもできなかった。 誕生日に似合う服を選んであげる事もできなかったし 今、私達が何気なく ずっと一緒に暮らしてきた祖父母にしている事を もう亡くなってしまった鹿児島の祖父母には ほとんど全部する事ができませんでした。 お互い離れた所に住んでいたからとか、 まだ当時は私達が幼かったからとか 仕方がないという理由を並べる事はできるので すごく悲しいわけでも すごく後悔しているわけでもないけれど みんなで歌を歌って 祖母がローソクの火を消すのを見て 温かい気持ちになるのと同時に もう誕生日を迎える事はない そして誕生日を祝ってあげる事ができない 鹿児島の祖父母を思い出し 寂しいような、切ないような気持ちになった夜でした。 そのぶん、大阪の祖父母には 鹿児島の祖父母にしてあげれなかった事をしないとですね!