ファインダーの向こう側

皆様こんにちわっ 店長の睦です! 先日白熱したエアホッケー対決での 右腕の筋肉痛がいまだにとれておりません・・・ 久しぶりに本気で体を動かした気がします 同じく本気な友人と姉↓↓↓ すっかり秋めいていい風が入ってくるようになりましたね〜 紅葉にはまだ少し早い気もしますが 京都にフラッと写真を撮りに行きたい気分です。 写真といえば 今私が撮影する時は 大抵IPhoneコンデジを使用しています。 大学の時も飲み会といえば ビール片手にパシャパシャ友人達を撮っていました。 今まではそっちの方が気軽だし いつでも取り出せるのでこれらを使用していましたが そろそろ ちゃんとしたデジタル一眼にしようかなと計画をしています。 元々写真を撮るのは好きですが おそらくそれは祖父の影響が強いと思います。 と、いうのも 祖父は昔から写真を撮るのが趣味で 私達の数えきれないほどあるアルバムは全て祖父が撮ってくれたものです。 小学生の頃は祖父が使わなくなったカメラを 姉と私に一台ずつ貸してくれ 一緒に公園に写真を撮りにいったものでした。 祖父は私達だけではなく 親戚の運動会とか結婚式とか 何かあるたびカメラマンとして 撮影しに行くのですが 祖父が撮った写真で 一番私と姉の心に残ったのは 私達の写真ではなく 親戚の子供たちの運動会の写真ではなく 美しい風景の写真でもなく 祖父の親友の遺影写真かな。 祖父と親友の方(以下Sさんと書きます)はもう何十年との付き合いで 昔はしょっちゅう家族で一緒に旅行に行っていたそうです。 豪気で典型的なガキ大将気質な祖父と、優しく大人しい感じのSさんは一見正反対のようにも見えますが 楽しそうな写真が今でも古いアルバムに残されています。 Sさん達にお孫さんがまだいなかったのもあり 私と姉は本当の孫のように可愛がっていただきました。 私と姉が生まれる時もずっと病院にいてくれて アルバムにはSさんにプレゼントしていただいたお洋服を着ている 私達が何十枚と写っていました。 そんなSさんですが 癌に侵され長い間入院する事になったのです。 私達も母に連れられ何度かお見舞いに行きましたが 本当に痩せていて どんな言葉をかけていいのか当時の私にはわからず 母の後ろで挨拶するぐらいしかできませんでした。 祖父は休日、いつもSさんの病室に通っていました。 Sさんが長くはない事を祖父やSさんのご家族の方は 医師から聞いて知っていたのですが 本人には言いませんでした。 ある日、Sさんが祖父にむかって 「僕の写真を撮ってほしい」と頼んだそうです。 祖父は Sさんが言わずとも 遺影写真を撮って欲しいと言っている事はわかったらしく 病院でSさんの写真を撮りました。 Sさんは夜中も寝れないくらい 体が痛い事もしょっちゅうあったそうですが 遺影写真のSさんはとても穏やかな顔で笑っていました。 祖父はどんな気持ちでシャッターを押したのでしょうか。 きっと今まで祖父が撮ってきたSさんは 楽しかったり嬉しかったりの笑顔ばかりだったと思います。 死期を悟って写真を撮って欲しいと頼むSさんを 静かに笑うSさんを ファインダー越しにどんな気持ちで見ていたんでしょうか。 親友の遺影写真を撮るのはどんな想いなのでしょうか。 私には想像すらつきません。 もし私が親友に遺影写真を撮ってほしいと頼まれたら 私は撮る事が出来るでしょうか。 これもまた、想像すらつかないことです。 私が以前、本格的にカメラやろうかなと 祖父に相談すると祖父は大喜びで 何冊もカメラの本を貸してくれました(まだカメラすらないのに) その時に祖父が 「カメラをするなら何の為に撮るのか、それをちゃんと考えやなアカン」 と言いました。 祖父は昔から「みんなに喜んでもらう為」に写真を撮っているそうです。 だから祖父の写真は風景が少なく 人物の写真が圧倒的に多いのかと納得しました。 そしていつも撮影した写真は写っている人数分焼き増ししてプレゼントしています。 正直、私は祖父のように 「みんなに喜んでもらう為」に写真を撮る事は出来ないと思うけれど いずれ祖父が死を悟った時 誰かの為に写真を撮り続けてきた祖父の遺影写真を 撮るのは私がしたいと思います。 写真の話をしながら夕食を食べている時 「じいちゃんの遺影写真はウチが撮ったるから任せとけ」 と私が言うと 頬にご飯粒がついている事に気づいてない祖父は 「そうか」と言って いつものようにガハハと笑いました。