夏の夜祭りについてあれこれ

皆様こんにちわっ 店長の睦ですっ![:鳥:] 土曜日は近所のお墓で施餓鬼(せがき)が行われました。 施餓鬼という言葉を知らない方もいらっしゃるのではないかと思いますので 簡単に説明させていただきます。 地域によって風習が違うかもしれないので 私の近所の施餓鬼についての説明ですので そこはご了承ください。 私の近所のお墓の施餓鬼は 早い話 いっぱい夜店がでます。 しかも近所に住んでいる親戚がこぞって来るので 普段会わない親戚にもバッタリあって 「おおきくなったねえ〜〜〜!!」などと言われまくります。 墓前に手を合わせてからの 夜店まわりなんですが 小さい頃はお墓よりも夜店まわりの方がメインでした。 普段お墓参りは蚊がでるので早いうちに行くのですが 施餓鬼はいつも夜で お墓に浮かぶ沢山のちょうちんが幻想的で それでいて少しこわかったです・・・。 この施餓鬼について少し紹介させて頂きます。 皆様は六道輪廻というものをご存じでしょうか? 六道(りくどう、ろくどう) とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のことです。 天道(てんどう、天上道天界道とも) 人間道(にんげんどう) 修羅道(しゅらどう) 畜生道(ちくしょうどう) 餓鬼道(がきどう) 地獄道(じごくどう) 餓鬼道とは、生前に贅沢をした者が餓鬼道に落ちる世界の事です。 ただし仏教の立場から正確にいえば、生前において強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が死んで生まれ変わる世界とされています。 ここに落ちてしまったものが餓鬼とよばれるんですが 餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされることがないとされています。 極端な飢餓状態の人間と同じように、痩せ細って腹部のみが丸く膨れ上がった姿で描かれることが多いようです。 自分の力ではこの苦しみから脱することが出来ない餓鬼に、食べ物を施そうというのが「施餓鬼供養」 この起源となったお話が 経典によると、釈迦仏の十大弟子で神通第一と称される目連尊者が、 神通力により亡き母の行方を探すと、 なんと母は餓鬼道に落ち、肉は痩せ衰え骨ばかりで地獄のような苦しみをえていました。 目連は神通力で母を供養しようとしたが食べ物はおろか、水も燃えてしまい飲食できません。 目連尊者はお釈迦様に何とか母を救う手だてがないか尋ねました。 するとお釈迦様は 『お前の母の罪はとても重い。生前は人に施さず自分勝手だったので餓鬼道に落ちた』と言いました。 そして 『多くの僧が九十日間の雨季の修行を終える七月十五日に、ご馳走を用意して経を読誦し、心から供養しなさい。』 目連が早速その通りにすると、目連の母親は餓鬼の苦しみから救われたのです。 これが起源とされています。(ただしこの経典は後世、中国において創作された偽経であるという説が有力であるともされています) 他にもこんな話があるのですが お釈迦様の十大弟子の一人である阿難(アナン)尊者が、あるとき森の中で坐禅していると、真夜中に突然餓鬼が現れました。その餓鬼の容姿は痩せ衰えて喉は細く、髪は乱れ目は奥で光る醜いといいます。 餓鬼は口から火を吐きながらこう言いました。 『お前は三日後に死んで、私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう』 驚いた阿難はすぐさまお釈迦様に相談します。 『観音菩薩から授かった真言(お経の一種)を七回唱え、 一心に祈れば少量の食べ物が沢山になる。 これを無数の餓鬼に施し、空腹を満たさせなさい。 こうして供養すれば多くの餓鬼が苦身を逃れ天上に生まれかわれよう。また、お前は寿命が延び、仏の道を悟る近道にもなるのだよ』 とお釈迦様は教えられました 阿難尊者はそのお言葉通り、早速供養を行いました。 すると阿難尊者の寿命は延びたという事です。 この二つの話が混ざって、多くの寺院において盂蘭盆の時期に施餓鬼が行われるようになったといわれているようです。 小さい頃はいつも夜店が楽しみで行っていた施餓鬼ですが こんな意味があったんですね。 夜店が出回るのも何か関係があるのでしょうか? 夏のもう一つの夜の祭りといえば 盆踊りですが 盆踊り(ぼんおどり)は、盆の時期に死者を供養するための行事、またその行事内で行なわれる踊りの事で 盆踊りのステップは死者を鎮めるためのステップだときいて姉が怖がっていました。 この盆踊りですが、昔は旧暦の7月15日に行われていた為、盆踊りはいつも満月でだったそうです。 ちなみの誤解されがちですが 俳句の季語では盆踊りは「夏」ではなく「秋」ですよ。 これは暦の上では既に立秋を過ぎてから行われるものだからだそうです。 そして一部の地域では 盆踊りを、開催時期により「彼岸踊り」とよぶ地域もあるそうですよ。 最後に地蔵盆のお話をしたいと思います。 地蔵盆とはおもに近畿でおこなわれる行事の事です。 この地蔵盆というのは夏休みが終わりかけの頃に 3日間かけてする 街角などにたっているお地蔵様のお祭りです。 地蔵菩薩は中近世以降子供の守り神として信仰されるようなり、 広く知られた伝説によれば、地蔵菩薩が、親より先に亡くなった子供が賽の河原で苦しんでいるのを救うといいます。 このことから地蔵盆においては特に子供が地蔵の前に詣り、その加護を祈る習わしになっているのです。 子供を守るお地蔵様のお祭りですので やってきた子供達にはお菓子を配ったりします。 近所の子供たちが集まるので 小さいながらもにぎやかだったのを覚えています。 この地蔵盆 先ほど近畿の方で行われる行事と書きましたが あまり関東の方では有名ではないようですね。 なぜ関東には定着しなかったといいますと それは地蔵信仰の歴史のちがいによるもののようです。 京都では室町時代地蔵盆が大流行しましたが、東京では江戸時代になって、やっとお地蔵さんが作られたのです。 その上、江戸ではお稲荷さん信仰が盛んだったのです。 だから地蔵盆は関東には定着しにくかったそうですよ。 以上、夏の夜祭りについての記事でした。 夏のお祭りは一見賑やかで楽しそうにみえても 結構宗教色の強い行事が多いですね[:嬉しい:] だから肝試しの季節なのでしょうか?